ちょっと節穴 / A little bit blind

ドラマや映画、音楽について書いてます。時々本も。A blog about dramas, movies, and music. Sometimes books.

カズオ・イシグロ白熱教室 感想 「懐かしさ」の文学

いやー、ノーベル賞のおかげで、放送当時見逃して「しまったー!」と思っていたものが観れてよかったです。

「人はなぜ小説を読むのか」

をテーマにした講演でした。
「真実に触れるため」
というのが結論だったのですが、私は最初の問いかけの答えよりも、最初に説明された「カズオ・イシグロが小説を書き始めた理由」のほうが印象に残りました。

カズオ・イシグロは、自分の記憶の中にある日本(=現実の日本ではなく、彼の記憶の中で作られた日本)が薄らいで行くことに危機感を覚え、大切な記憶を守ろうとして、なんとか形に残そうとして、小説を書き始めたそうです。それで世界的な作家になれるのがすごいと思いますが、こういった「記憶が薄らいでいく」ことは、誰にでも当てはまることだと思います。さらに言うと、誰しもが「現実とは違う自分だけの記憶」を持っているのだと思います。
で、たぶんこの「現実にあったことの記憶がどんどん改ざんされていった末に出来上がった記憶」に人は「懐かしさ」を感じるのではないかと思います。
英語には「懐かしい」を正確に表現する言葉はありません。強いて訳するなら "It reminds me of my childhood." になる、と昔英語の先生に教えてもらいましたが、「懐かしさ」とは単に子供時代のことを思い出すこととは少し違うと思います。
で、カズオ・イシグロは要は「懐かしさ」を表現しようとしているのではないかと思いました。
彼の本はどれを読んでいても懐かしさを感じます。自分はイギリスで育ってはいないし、戦後すぐの日本もイギリスも知らないし、アーサー王の時代のことだって当然知らないし、アーサー王物語が身近な世界で育ったわけでもありません。でもものすごく懐かしさを感じるのです。
その懐かしさは作品に感じているのではなく、どちらかと言うと「自分の中の何か」を刺激されて沸き上がってくるもの、だと思います。
自分では体験していないことを読ませて、それで相手に懐かしさを感じさせるってすごいことだと思います。

で、恐らくカズオ・イシグロの本が世界中で読まれていることの理由に、「懐かしい」という感情を表現しているから、ということがあるのではないかと感じました。一言で表現する言葉がないからといって、英語圏の人が「懐かしさ」を感じない訳はないと思うのです。

普遍的な物語を書くようにしていると言っていたので、誰にでも思い当たる節のある、心の柔らかい部分を刺激するものに仕上がっているのだと思います。

舞台設定の可能性が広がりすぎてなかなか舞台を決められず、執筆に時間がかかってしまうそうですが、早く次の作品が読みたいです。