ちょっと節穴 / A little bit blind

ドラマや映画、音楽について書いてます。時々本も。A blog about dramas, movies, and music. Sometimes books.

愛しさと切なさと心強さと / 想い出を置き去りにして

きのうの朝、起きた瞬間に小室哲也さんの『想い出を置き去りにして』という歌が頭の中で再生され、それからずっと切ない気持ちです。これがマタニティブルーってやつでしょうか。

『想い出を~』と共に高校時代に始めて付き合った人との「存在しないはずの記憶」とかが再生されて切ないのです。地元の海でお喋りしてるんだけど彼と海なんか行ったことないっていうね!
もう恋愛感情は全くないし、浮気したいわけでもないし、夫と結婚できてよかったなぁと心から思っている日々にもかかわらずなんかそんな感じで胸がきゅんと締め付けられるのです。

ただ、これって恋が始まったときの「ただ一緒にお喋りしているだけで嬉しくて幸せで気分がフワフワしてドキドキする」って感覚をもう二度と味わえないからこその感情なのかもなぁとも思います。特に高校生くらいのときの感覚。
夫のことは大好きだけど、やっぱり付き合い始めたときのようにドキドキすることはもうないし、そもそも二人ともいい大人だったからやっぱり思春期のそれとは少し違うものだったし。
今は仲のいい兄妹とか友達とかそんな感じになっています。会話の内容なんか小学4年生の男子レベルだし。毎日すごく楽しいけど。
夫に女性として見られていないように感じるのもこの切なさの要因のような気はしますが、子供が生まれたらもっと女性じゃなくなるよな。産後、母乳がいっぱい出てめちゃくちゃ痩せてほしいなぁ。そうしたら少しは夫も女性として見てくれるんでしょうかね。うちの家庭に愛はあるけどときめきはねぇんだよ!

恋愛に関することだけではなくて本当にもう「一人」にはなれないんだなというか。
本当に「一人」になろうと思ったら夫も子供も失う以外には方法がないわけで、「一人」でありたいと思う反面、夫も子供も失うなんて耐えられずに気が狂う自信があります。何でしょうね。自分が自分だけのものではなくなってしまう感覚に近いのかなぁ。

要はないものねだりなんですよね。夫もほしい、子供もほしい。安定した幸せがほしい。でも不安定なときめきもほしい。みたいな。その不安定なときめきを夫から得られればそれが一番なんですけどもね!

でもこれって、私が世の中の「お母さん」という存在を「一人の人間」を見ていないからなのかな……自分の首を絞める考え方だからこれはまずいんですけどもね。