ちょっと節穴 / A little bit blind

ドラマや映画、音楽について書いてます。時々本も。A blog about dramas, movies, and music. Sometimes books.

つのだふむさんの漫画を読んで思ったこと

 
言っていることはとてもよく分かる。
こういうのって、結局のところ本人しか状況を変えることができないので、周りが動かすことはできないんだよね。
とはいえ、「こういう選択肢もあるんだよ」ということを教えてもらうことは結構重要。本文にもあるように「今」は何も響かないし動けないかもしれない。でも「もう少し先」にはちょっとだけでも余裕があるかもしれない。そんな時に、自分が選択肢の数は多い方がいい。
なので、「学校辛いよね、逃げてもいいんだよ」と言ってもらうのは決して無駄なことではないので、自分はそういったことは普通に行おうと思う。
 
「今」顔を上げることができない感覚はすごくよく分かる。顔を上げるには余裕が必要だし、本当にしんどい時は視野がめちゃくちゃ狭くなってて、顔を上げるってことすら思いつかなかったりする。
私はいじめに遭っていたわけではないけど、個人的に結構大きな問題を数年前まで抱えていて、あるときふと「あれ、これ、私の人生ってあとは自殺くらいしかすることなくない?」と気づいた。
ここでそのことに気づけたことと、「いや! そんな人生絶対に嫌だろ!」と思えたことは本当に幸運だったと思う。まぁ当時は結構マジに発狂しかけだったので、今から思えば、なんですけどもね。
過呼吸みたいになりながらすごい勢いでカウンセラーを探して、予約を入れて、通い始めて、1年半で何とかなったので、やっぱり私はその辺幸運だったんだと思う。
 
で、カウンセリング以前の発狂しかけだったころ、色んな人が私を助けてくれようとしていた。いろんな解決策を提示してくれていた。でも私には届かなかった。と、言うよりも、何のことを言われているのかさっぱり理解できなかったと言った方が正しいかもしれない。「人に頼っていいんだよ」って言われても、「頼る? 誰に? 私一人ぼっちなんだけど」と、いった具合に。手を差し伸べてくれる人がいる時点で一人じゃないのに、そのことが全く見えていなかった。なんならそいつら全員敵くらいに思ってた。酷い話だよね。
 
でも時々脱落しそうになりながらもなんとかカウンセリングに通って(私のカウンセラーは飴とムチが上手い人で、サボってると結構怒られた。でもカウンセリングって楽ではないのよ! 過程で傷つくこともあるし自分で努力しないとなんの意味もないのよ!)、ある日突然、「あれ、私別に一人じゃなくね?」と理解できた。本当に、突然。
 
今まで手を差し伸べていてくれた人がいなければ当然この気づきはなかったわけで、だから決して手を差し伸べることは無駄ではないのです。自分に準備ができれば、その手を握ることができます。
私の場合、相手が待っててくれたという幸運もある。人や物事には当然タイミングというものがあって、例えば途中までは待っててくれてもあっちの方にも問題が発生して他人を助けるどころの騒ぎじゃくなることもあるだろうし、あっちのタイミングに乗れなかったら手を引っ込めてしまう人もいる。でも(やむを得ない事情はともかく)待ってくれない人はそれこそ「優しくしてあげたのに!」タイプの人だと思うので、そもそも口だけで頼れる存在ではないのであまり気にしなくてもいい。
ただ、そういうこともあるから、やっぱり選択肢はたくさん持ってる方が良くて、自分に余裕が出てきたときに、どの道を行くか選べるというのは非常に重要。受け取る準備ができたときに受け取ればいい。
 
私の場合、カウンセリングから「一人じゃない!」までの過程でもかなりボロボロになったからかなりしんどかったけど、それでも気づいてから手に入れた現在は最高です。気を抜くと元に戻るので、かなり慎重に生きてます。認知の歪みがあるので、今でも様子がおかしくなったらすぐにカウンセリングに駆け込みます。それでも最高。選択肢があるって最高。だから「逃げてもいい」はガンガン発信しましょう。ただし、相手から思ったような反応が返ってこなくても怒っちゃダメ。相手は受け取れない状態の可能性があるから。
 
私が幸運だったことは事実だけど、それもいまだから分かることであって、おかしかった当時は本当に視野が狭くなっていて「自分は一人」だと真剣に思っていた。私よりも厳しい状況にいる人はいっぱいいるだろうけど、自分に見えていないだけで思いもよらないところに助けがあることもある。だから。この言葉がいつか伝わるといいな。程度で。