第5話を見ていて思ったことがあります。
というか、反芻したり見返したりして思ったことなんですが……。
渡辺康介のお父さん、昭さん、かなりキチ〇イじみてませんか?
いや、私も人の子の親なので気持ちは分かります。自分の子供が突然いなくなってしまったら気が狂ってしまうのは分かります。15年後にいきなり白骨死体見せられて「あなたのお子さんです」とか言われて信じられない気持ちも分かります。
分かるんだけど……ドラマ上の描き方として昭さん、どんどん常軌を逸している描写が増えてきてるというか……。ミッチーの車の前に飛び出したりとか人違いだと分かってもペラペラしゃべって資料まで押し付けたりとか。
「警察は間違っとるんです! あの死体はうちの息子じゃなくて、うちの息子は今もどこかで生きてるんです!」
ってセリフは、最初見たときは「子供の死を受け入れられない親の言動」だと思ったんですけど、ちょっと妄想を膨らませてみることにしたらタイトルのような考えが浮かんできました。
要は
昭さんは康介にとどめを刺して殺してしまった。
自分のやったことがショック過ぎてすべてを忘れてしまい、必死に息子を探すようになる。
15年後、優に首を絞められて池に落とされたことですべてを思い出してしまう。
なんとか池からはい出したのはいいものの自分のやったことに改めてショックを受けて絶望して池に身を投げて自殺してしまった。
んじゃないかと。
なんで昭さんが息子にとどめを刺したのかに関しては、「優しい息子」が「クソ野郎」だったことが許せなかったというか受け入れられなかったんじゃないかなぁと。達雄パパと一緒に死体を埋めに行ったかどうかは不明ですが、なんとなくそこまではやってないような気もします。
「自分にとってはいつも優しい息子だった」
と昭さんがインタビューで言っているように、父親には本当に優しい普通の息子だったんでしょう。
でも台風の日に息子の薬中の強姦魔としての一面を知ってしまい、それが許せなくて息子にとどめを刺してしまった。そしてそこで認識が乖離してしまった、つまり「女の子に薬を盛って乱暴をするような男=自分の優しい息子ではないだれか別の人間」となってしまった、と。
だから忘れてるんだけど忘れてないというか、あの白骨死体は息子だけど息子じゃないみたいな、そんな変な狂気の中に行ってしまったんじゃないかな、と妄想してみました。
で、優に首を絞められて現実を受け入れることになったと。
ただ、これだとこの説を証明することができないんですよね。当事者死んじゃってるから。あと、昭さんの後頭部の挫創も意味が分からなくなってしまう。
2006年も2021年も証明するためにはどちらも第三者の目が必要です。そしてここで第三者となりうるのは実は梨央だったりするんですよね。
2006年では薬を盛られていたとはいえ現場にいたわけだし、記憶が戻ったとしても節k着ではありません。
2021年も一回昭さんを振り払って逃げたんだけど気になって戻ってみたら正気に戻ったずぶ濡れの昭さんがいて、昭さんの罪の告白を聞いた上に自殺の瞬間見せられちゃったとかね。それだと帰りのタクシーで泣いてたことの説明はつくんだよな~。梨央って何をどこまで知っているのか、実はよく分からないキャラですからね。
うーん、しかしはずみで息子を殺したとして、遠くまで埋めに行けるかなぁ……。やっぱり死体遺棄にはだれか別の共犯者がいるんじゃないかな。達雄パパの告白ビデオと死に関して、思うところがあるのでそれにも絡めて次回書けたらなと思います。